「ゴジラ」(1954) 原点にして頂点

SF映画

概要

1954年に公開された第1作目。製作は以降もゴジラシリーズを主導する田中友幸。監督は本多猪四郎。特撮は円谷英二、二人は過去「ハワイ・マレー沖海戦」で同じチームだったりと戦中にはプロパガンダ的な戦争映画に携わっており、その技術を戦後(反省のもとに)再度生かして再起を果たしたのがゴジラシリーズであるとも言える。

・企画の発端

製作の田中が1954年3月に発生した第五福竜丸についての映画を作りたいと思った事、その前に特撮映画が当たっていた事などを背景に、自身もファンであった幻想小説家の香山滋(原作)に相談しに行ったところから始まったという風に公表・説明されている場合が多いが、映画の内容自体は1953年のレイ・ブラッドベリ原作、特撮の神様レイ・ハリーハウゼンのアメリカ映画「原子怪獣あらわる」とほぼ同じと思えるシーンが多くモデルにしていると思われる。(それをさらに進化させているとも評価できるが)

あらすじ(ネタバレ)

奇妙な事故

1954年太平洋を航海中の貨物線「栄光丸」が突如SOSを発した直後沈没した。そしてそのSOSを受けて現場に急行した「備後丸」も、同じく行方不明になるという奇怪な事故が発生したことを南海サルベージの尾形秀人は知らされる。

その後、大戸島の漁船が貨物線の生存者山田政治を救出したと言う情報が入り、新聞記者が大戸島へ向かう。山田政治は巨大な生物に襲われたと証言。地元の老人は大戸島に古くから伝わる伝承の「ゴジラ」の仕業だと漏らす。そしてその夜、大戸島を暴風雨が襲うとともに謎の巨大生物が襲来し村を破壊する。

大戸島の破壊を受け、古生物学者の山根恭平博士、娘の恵美子が現地に調査にくる。現地ではガイガーカウンターから高い放射線が確認される。また、山根は謎の巨大な足跡の中に絶滅したはずの三葉虫(トリロバイト)を発見。その直後に村に警報が鳴り、巨大な生物が八幡山の向こうを歩いている衝撃の光景を目の当たりにしてしまう。

帰郷した山根は国会の参考人招致にて、海底洞窟に潜んでいたジュラ期の巨大生物がアメリカによる太平洋水爆実験によって目を覚ましたものであると思われると発表する。

それを受けて日本はフリゲート艦隊によるゴジラへの爆雷攻撃を決定する。

揺れ動く山根博士と芹沢博士

 しかし山根博士はそれに対してなぜか強い嫌悪感を示す。山根は科学者という立場からゴジラを殺すのではなく研究すべきだと力説する。その強い口調の裏には、太平洋戦争で唯一の被爆国である日本、だからこそゴジラのアメリカの兵器に負けない強さを学ばないといけないのだという想いが滲む。

一方そのころ毎朝新聞の記者萩原はあるドイツ人から、芹沢博士という人物であればゴジラを倒す方法がわかるかもしれないという噂を聞く。芹沢博士はかつて山根博士の娘、恵美子と婚約関係にあったが、戦中に何らかの理由から右目を失明(顔がケロイド状態になって眼帯をしている)。その過去のせいなのか婚約を一方的に解消(恵美子は尾形と交際している)し、地下室にこもって謎の研究に没頭している。

記者萩原は恵美子に頼んで、芹沢に会うが、芹沢は断固として協力を拒否する。しかし恵美子の哀願に負け、ある研究を披露する。それは水中の酸素を破壊する事で、水中の生物が白骨化してしまう「オキシジェンデストロイヤー」と呼んでいる技術だった。芹沢はこの兵器が核兵器に匹敵する恐ろしい兵器であるため隠し続けていた。

・ゴジラ in 銀座 新橋 数寄屋橋

そうこうしているうちにゴジラが東京湾から都内に上陸。銀座や東京駅周辺を焦土と化していく。東京の夜の空を破壊された真っ赤な街の火の手が立つ様は、さながらかつての大空襲を思い返させる。テレビ局の屋上から撮影中のアナウンサーが叫ぶ。「テレビをご覧の皆さまこれは劇でも映画でもありません、現実の奇跡、世紀の怪事件です!」(このアナウンサーたちは後に映画「ゴジラ マイナス1」でもオマージュとしてビルの屋上に登場している。

みかねた芹沢博士は、一回だけという条件のもとに協力を了承し、これまでの研究資料を人知れず全て処分してしまう。

海上保安庁の巡視船に乗った芹沢は、潜水服を着てゴジラがいるとされる海中にオキシジェンデストロイヤーをもって潜る。ゴジラを発見した芹沢はオキシジェンデストロイヤーを起動するとともに、自ら命綱を切断し、ゴジラと共に自ら命を絶ってしまう。こうして日本の平和は守られた。

ゴジラのテーマ

・戦争の記憶

企画の発端にあったように、ビキニ環礁での水爆実験への警鐘は当然のことながら、第二次世界大戦での敗戦の記憶が色濃く反映されている。(敗戦からおよそ十年)

戦争を経験している世代である山根博士や芹沢博士と、戦争をあまり知らない恵美子や尾形などの若い日本人とを対比して見せている。特に遊覧船の上でダンスに明け暮れる若者たちのシーンがその象徴であり、1950年代中頃から戦後復興により高度経済成長をはじめ、戦争の古傷をあっという間に忘れていってしまう日本に対してのメッセージともなっており、ゴジラの怒りと東京の破壊は戦没者の怒りでもあると解釈されることもあると同時に、戦後も軍備拡張を続けるアメリカをゴジラという比喩に仮託して痛烈に批判していると受け取ることもできる。

遊覧船でダンス、ダンスホール、ダンスクラブなど若者の遊興シーンは後のゴジラシリーズでもほぼ恒例のシーンになっている。

・芹沢博士の過去

芹沢博士が戦中に一体何をしていたのか、なぜケロイドの傷があるのかについては原作小説にもはっきりとは描かれていない。

よって以下はあくまでも私の仮説ではあるが、芹沢博士の情報をなぜかドイツ人が知っていたこと、戦中は関東軍が進駐している北京大学で研究をしていたという裏設定があること、また1965年の本多監督「フランケンシュタイン対地底怪獣」において、ナチスドイツの不死の兵士の研究という生体実験が怪獣誕生の発端というシナリオにしているところから推察すると、芹沢博士も日本軍の怪しい化学実験に協力してしまっていたのではないか、だからこそ人並みの幸せを捨ててしまい恋人を捨て隠遁し、政府の協力を拒んだのではないのか、そしてもっと昔から自分の命にもう決着をつけたいと願ってしまっていたのではないか、そんな推測もできるかも知れない。知らんけど。

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